プロフィール(第一の人生)

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第一の人生 (簡単に)

福岡県の炭鉱の町に光根家の次女として誕生。

高校受験の年に突然父が亡くなりました。

地元の進学校へ進み、その後、同級生がどんどん大学を決めて行く中、地元の歯科衛生士専門学校へ進む事を選択。

地元の歯科医院へ順調に就職し、約3年その歯科医院へ勤務。
そして、とうとう、地元を離れ、ちょっと都会へ出る事を決意します。(東京じゃなく、福岡市ですけど!)

都会での生活(人生を変える人との出会い①)

都会へ出るにあたって、私は地元のボーイフレンドとも関係を解消し、身軽になって新天地に臨みました。そこからは、バイトの毎日。私は歯科衛生士ではなく、フリーターを選択しました。

そこで、未来の沖縄行きを決める事になるボーイフレンドに会う事になるのです・・・

その間に、私は、「これからはコンピュータだ!」と思い、まずは、CADの仕事に着きました。そこでは、初心者でも、OJTで仕事を覚えられるというものでした。すると、すぐに、仕事を覚えてしまい、今度は、いろいろな仕事の面接に行き始めます。そこで、同じグループ面接者の一人が、「システム系の専門学校に通う事を決意」して「卒業しました」という話をしたので、仕事よりもそっちの方に気持ちが向いてしまい、「システム系の専門学校に通う事を決意」します。

あの時の名も知らぬあの女性よ、ありがとう!

朝、自転車で学校に通う途中で、車との衝突事故で、病院に運ばれ、夕方目覚めたら、「記憶がない!」なんてこともあったり、その傷がなかなか治らずに、ちっちゃなタオル置き場で皮膚の切開手術をしたりといろいろありましたが、学校は無事に卒業し、その後、元IBM社員だった社長に拾われて、無事プログラマーとして社会で泳ぎ始めました。

そして、何年かすると彼は家庭の事情で先に沖縄に戻り、遠距離恋愛が始まりました。

仕事では、プログラマーとしていろいろな会社に派遣され、いろいろな環境でお仕事が出来、いろいろな友達が出来、あの大都会、東京にも住まわせていただきました。今で言う「三菱UFJ銀行」、当時は合併したばかりの「東京三菱銀行」で「東京銀行」出身者と、「三菱銀行」出身者との熱いバトルで、意見が食い違うさなか、小口リテールを担当させていただいたり。あっという間に会社の資金の問題で福岡に帰らされたんですが、楽しい数ヶ月でした。

そこで、東京に出来たばかりのスタバでキャラメルマキアートを毎日満喫!私の青春はスタバと共に♪

私生活では、何度も沖縄と福岡を行き来するうちに、すでに(気持ち的に)第二の故郷となっていた沖縄へ移住しようか?という気持ちが大きくなってきました。

そして、30歳を迎える頃に、私も、人生を決めないといけないんじゃないか?との気持ちから、沖縄への移住を決めました。

沖縄生活(人生を変える人との出会い②)

沖縄へ流れ着いてから、沖縄では「コールセンター」がアツい!と聞いて、大手コールセンターを選択。見事合格。しかし、今コールセンター立ち上げ中で、仕事自体は数か月先との事。その間にアルバイトでもと、今度はシステム会社を選択。こちらは「経験者を求む」の大変な状況だったため、即採用。即現場。でした。毎日残業が続き、最終バスで家まで帰る始末。しかし、沖縄は全国切っての低賃金。私は内地(日本本土と表記しときます。)とのギャップに驚くばかり・・・

今度は、コールセンターの始業が近づいてきて、プロジェクトを抜ける事が出来ず、こちらは断念。しかし、結果的にはそれが良かったようで、この大慌てプロジェクトが終わってからも、東京で銀行業務経験があったので、沖縄大手の金融機関での長期プロジェクトが決まったり、まさに沖縄に居続ける環境が整っていったのです。

しかし、仕事は上手くいっても、彼との仲は上手くいかず、沖縄に来てしばらくして、私は別れを決意。当時住んでいた、宜野湾市から職場がある、那覇市へお引っ越し。そこからまたいろいろと流れて行くことになるんですが、最初の大きな一歩でした。

そして、彼とも別れ、時間が出来たために、私は英語の勉強を始める決心をしました。以前もラジオ英会話なんかは聞いていましたが、本格的に勉強を開始。塾に通い、みんなが受ける、当時自分自身よくわかっていなかったTOEFLを受験。

結果が返って来た時に、担当の先生に呼ばれ、「ミツネさん。失望しました。」と言われてから、がぜんやる気を発揮し、それから毎日、塾のある日も無い日もモスバーガーに通い、塾のメンバーと3人、夜の3時まで勉強。そして、ありがたいフレックス制だった会社に10:00出勤⇒仕事、定時⇒モス⇒勉強を続けました。

そして、爆発的に成績が上がり、なんと、当時あまり考えてなかったアメリカの大学を受験できるところまでやってきました。そして、受験⇒無事合格。今度は、仕事と勉強の両立です。

当時通っていたプライベート英会話の先生(現在では人生の大親友)が語る、ロッククライミングの面白さに興味を持って、「一回連れて行って!」と言って連れて行ってもらったら、もう恐怖と興奮のはざまに揺れて見事、全セット揃えることに!それからは毎週、毎週、一緒にクライミングをして回りました。

アメリカ、オーストラリア、フランス、ギリシャ等、当時、ロッククライミング目当てに旅行しました。オーストラリアで出会ったクライミング仲間とフランスで落ち合ったり。

そして、その時であった、最初のアメリカ人の彼が私をまた違う世界に連れて行ってくれたのです。

米海軍病院で(人生を変える人との出会い③)

その最初のアメリカ人の彼が同僚のパーティに連れて行ってくれて、その同僚の彼女である、日本人のかわいい彼女と出会う事が出来たのです。そして、なんと、一番の共通点は、彼女は現役の歯科衛生士で、米軍基地で歯科衛生士として働いていたのです!私はすでに、歯科衛生士の道からは遠ざかっていたんですが、なんと、日曜日だけの助っ人歯科衛生士として地元歯科で働き始めていたのです。

その最初のアメリカ人彼にはこっぴどい扱いを受け、連絡が取れなくなったりして、泣いて、落ち込んで、仕事が手につかなくなったりして大変だったんですが、その間に彼女は私の親友になり、いろいろな悩み事を聞いてもらうようになりました。

そして、ある日、同じ時期に付き合い始めた彼女は、結婚してアメリカに行くので、自分のポストで働かないか?というお誘いを受けたのです!

私はすぐにその仕事に就くため、システムの仕事を辞めました。しかし、仕事の管轄が変更になったとの事で、引継ぎや、その他もろもろ、いつ始まるか不透明な状態へ。しかし、私はもう辞めてしまっているので後には戻れません。

私は、ただただ信じて待つ。急きょアルバイトを探しながら・・・

そして、とうとう「すぐにでも来てほしい!」と電話連絡を受け、書類作成を開始し、無事提出、採用の流れで働くことが決まったのでした。

ここに来るまで本当に不思議な縁の連続で、まさか、歯科衛生士に戻るなんて夢にも思いませんでした。そしてあの時の、10代のあの適当とも言える選択がこんなところに結び付くなんて。

そして、

米海軍病院で唯一日本人のDental Hygienist(デンタルハイジェニスト)/歯科衛生士 として、軍トップの司令官から5歳の子供まで約9000人以上歯のクリーニング、ブラッシング指導、生活習慣指導、を行ってきました。
終わった後に、「ありがとう!」と笑顔で言われるのが嬉しくて、毎回60分間、全力疾走でした。

 

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tomoko mitsune
光根 智子(ミツネ トモコ) /Tomoko Mitsune   システムエンジニア、米海軍基地でデンタルハイジェニスト(Dental Hygienist) として勤務後、米国アメリカへ渡り、【あなたの光、Highest Good(最高に良い状態)へ】をコンセプトにライフコーチとして活動中。